社会の多様化とは

世の中では「グローバル化」、「社会の多様化」という概念があちらこちらで叫ばれている。 社会の多様化。 それはそれぞれの違いを認め合い、自分と違う人に対して一定の敬意と尊重を持って臨むいうものであろう。LGBTの解放運動、そしてしょうがい者のソフト面・ハード面におけるバリアフリー運動も昨今では盛んになっている。 その多様化の一環として、学校にて英語教育が施されている。 社会の多様化に応じた人材を育てるという目的なのだろう。 英語を話せるようになるという事は、確かに世界各国の人たちと意思疎通が可能となり、様々な考え方を知ることが出来るものである。いわば多様化に対応できる「ツール」だ。 しかし今の現状を見てみると、英語を話す事こそがゴールになっているように感じてならない。海外では英語を満足に話せないがために悲しい事に差別を受けることもあったりするのだ。 多様化というのはツールがどうあれ、その人の思想・思念、ひいては存在が尊重されるという主旨であるにも関わらず、そのツールが為にその人の価値観を蔑ろにされるいう矛盾が生じてしまう。 そもそも全ての人に尊厳があるとする「多様化」に、乗り切れなくて淘汰される人々。この現象はどう捉えるべきなのだろうか。多様化というより統一化されているような気がしてならない。母国語よりも英語を重視という国もあるのだから尚更だ。 最近、会話の内容が瞬時に同時通訳される機械が開発されたというニュースを聞いた。これこそ世界各国それぞれの言語を尊重したやり方なのかもしれない。しかし機械に依存しすぎるのも問題であろう。 本当のグローバル化、社会の多様化というものは何なのだろうか。 考えさせられた今朝だった。 おはようございました。