新しい事を始めました

I have started something new. Everytime I start something, I remember the poem as below. 今日、新しいことを始めました。 何か新しい物事を始める時、私はいつもこの詩を思い出します。 茨木のり子さん「汲む―Y・Yに―」です。  —– 汲む―Y・Yに―   茨木のり子 大人になるというのは すれっからしになるということだと 思い込んでいた少女の頃 立居振舞の美しい 発音の正確な 素敵な女の人と会いました そのひとは私の背のびを見すかしたように なにげない話に言いました 初々しさが大切なの 人に対しても世の中に対しても 人を人とも思わなくなったとき 堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを 隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました 私はどきんとし そして深く悟りました 大人になってもどぎまぎしたっていいんだな ぎこちない挨拶 醜く赤くなる 失語症 なめらかでないしぐさ 子どもの悪態にさえ傷ついてしまう 頼りない生牡蠣のような感受性 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな 年老いても咲きたての薔薇 柔らかく 外にむかってひらかれるのこそ難しい あらゆる仕事 すべてのいい仕事の核には 震える弱いアンテナが隠されている きっと…… わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました たちかえり 今もときどきその意味を ひっそり汲むことがあるのです

ぼっち

食事中ぼっちの話題になりました。 パパ「でもすぐ『ぼっち』」 パパ「…ぼっちって覚えてる?おかあさんといっしょで出てきたキャラクターだよ」 娘「うーん、あんまりよく覚えていない」 パパ「うちにもぬいぐるみあったよ。」 パパ「ほら、頭がパーの」 _人人人人人人人人人人_ > 頭がパーの!!! <  ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄ ※言いたいことは伝わりました

Hoso-maki Party

She made “Hoso-maki” for belated happy Father’s day dinner.

社会の多様化とは

世の中では「グローバル化」、「社会の多様化」という概念があちらこちらで叫ばれている。 社会の多様化。 それはそれぞれの違いを認め合い、自分と違う人に対して一定の敬意と尊重を持って臨むいうものであろう。LGBTの解放運動、そしてしょうがい者のソフト面・ハード面におけるバリアフリー運動も昨今では盛んになっている。 その多様化の一環として、学校にて英語教育が施されている。 社会の多様化に応じた人材を育てるという目的なのだろう。 英語を話せるようになるという事は、確かに世界各国の人たちと意思疎通が可能となり、様々な考え方を知ることが出来るものである。いわば多様化に対応できる「ツール」だ。 しかし今の現状を見てみると、英語を話す事こそがゴールになっているように感じてならない。海外では英語を満足に話せないがために悲しい事に差別を受けることもあったりするのだ。 多様化というのはツールがどうあれ、その人の思想・思念、ひいては存在が尊重されるという主旨であるにも関わらず、そのツールが為にその人の価値観を蔑ろにされるいう矛盾が生じてしまう。 そもそも全ての人に尊厳があるとする「多様化」に、乗り切れなくて淘汰される人々。この現象はどう捉えるべきなのだろうか。多様化というより統一化されているような気がしてならない。母国語よりも英語を重視という国もあるのだから尚更だ。 最近、会話の内容が瞬時に同時通訳される機械が開発されたというニュースを聞いた。これこそ世界各国それぞれの言語を尊重したやり方なのかもしれない。しかし機械に依存しすぎるのも問題であろう。 本当のグローバル化、社会の多様化というものは何なのだろうか。 考えさせられた今朝だった。 おはようございました。

イギリスのお土産

Souvenirs given to my daughter from friends of mine. They went to windsor castle in England. What a lovely!!  

ムシャクシャする

ご飯終わって、歯磨き時のお話。 いきなり娘は「何か、ムシャクシャする」 と言い放っては口の周りを水で洗いだしました。 「何その『ムシャクシャする』って。」と訊くと 「なんか口の周りが気持ち悪くて」と娘。 ※娘さん、それは一般的には「ベトベトする」って言ったりします。

文学週間とTerm3終了

ここ数週間続いていた文学週間も最終週となり、学期最終日の今日は、生徒は制服の代わりに、文学作品に出てくる人物の服装をして登校するという日だったようです。 昨晩それを娘から聞かされて、全くの「寝耳に水」状態であり、何ら用意をしていなかった私は、とりあえず「赤毛のアンの服装っぽいような感じの誰か」みたいな洋服を着させて学校に連れて行きました。 学校には沢山のヒーローやプリンセスや人間以外の生き物が。 中にはレゴの格好をした子もいました。あれは前が見えてるのだろうか…とちょっと気になったりもしました。 生徒達だけかと思ったら先生もフェアリーやら海賊やらの格好でした。 先生達もだいぶ楽しんでいる様子。 そして今日は学期最後の日ということもあり、金曜日定例の全校集会にて生徒達の表彰式がありました。 表彰される内容は様々なもので、もちろん学業優秀という子もそうなのですが、その他「ユニークな場所で読書をした子」「校庭でのヒーロー」等々も。 そんな全校集会。私は今回初めて参加したのですが、また日本のそれとは違ったモノだなと感じました。 なにより目をひいたのが、その進行役を生徒たちが行う事。見た感じ先生は補佐的な役割でした。何より子供たちがかなり楽しそうに過ごしていました。 こういう何気ない所から、子供の自主性って培われるのかもしれませんね。 今回表彰された娘、とても嬉しそうでした。 また選ばれると良いね。

教科書下巻受け取り

Japanese textbooks for my daughter given by Consulate General of Japan. I still remember I read this story in the Japanese language textbook when I was primary school in Japan. 娘の教科書の受け取りに行ってきました。 毎回思うのですが教科書の出来の良い事良い事。 日本は指導要綱と教科書が既に定められていて、全くそこに遊びがない事に疑問を感じることも多かったですが、こちらに来て数年たった今、 「日本の教育はベストとは言い難く問題は山積しているけれど、反面、これで受ける恩恵は大きかったかもしれない。当たり前にあったから気付かなかっただけで。」 と、ふと思ったりします。 どっちの教育も良い点・改善すべき点あるのですよね。 私なりの個人的な意見です。  

原宿の街ー日本

原宿の街、日本。 原宿の街、日本。 大切な事なので2回言いました。 Cotton onというこちらのジーンズショップ。 このページをよくよく見てみると、どうやらこの「原宿の街」は売れ筋商品らしいです。 日本人的な感覚から想像もつかないものが、案外売れたりするものなのですね。 感性の多様性をしみじみと感じます。 それにしても原宿バーガーといい、 何故こちらの人はみんな原宿が大好きなんだろう?  http://cottonon.com/AU/p/cotton-on-men/embroidered-bomber/9344943440808.html?utm_source=Facebook&utm_medium=Social&utm_campaign=socialcoa_130916_ausnz_embroideredbomber&utm_content=social

成長する娘

While reading the book “ANNE OF THE ISLAND”(Japanese), she told herself giggling that Anne would marry Gilbert. She might be old enough to be interested in such a girls stuff. アンの愛情―赤毛のアン・シリーズ〈3〉 (新潮文庫)

今日の小学校

今日の娘の1日はこのような感じだったようです。 朝~1回目の昼食…英語の読書。ただし担任の先生をどこかのクラスと交換したらしい(理由不明) 1回目の昼食~2回目の昼食…Fabric(繊維)を丸めたり、水につけてみたり、色々な状態にさせてそれを確かめるような授業。日本で言うところの理科っぽい。 2回目の昼食~下校…先生(担任ではない)の誕生日なので、みんなで先生の誕生日祝い。 色々何だか理由が不明な所がありますが、この緩さが全くこちらならではですね!