ランチ会の話

午前中は幼稚園の委員会で出かけていました。 作業が終わり帰り道に、以前から予定されてたランチ会の話しになりました。 私はもう行かない旨を理由も一緒に伝えていたのですが それを嫌がる雰囲気も全くなく、むしろ褒めて下さりました。 「全く外食してないなんてスゴイ!」「お弁当も毎日作ってるなんて~!」 私だってそんなに元々料理が大好きだった訳じゃないし、 外食しながら笑い話に花を咲かせるのが大好きだったので、 そう褒めて下さると本当に嬉しい反面、 なんだか申し訳ない気分にもなります。 まだまだ放射能を気にする人は圧倒的少数派。 (もちろん「結局健康被害がなかったね、あー私神経質だったねー!」で終わればどんなに良いか) 少数派を寛容的に見て下さる雰囲気は、私には本当にありがたいです。 私そんな皆さんだからこそ、本当は放射能の危険性を知ってほしい。 幸いにも関西にいて高汚染を免れているのだから、 そのお子さんたちを守ってほしい。 せめて「危ないから避けて」と私の判断を押しつけることはせずとも、 どんな危険性をはらんでいるのか、その情報だけでも伝えられたら… という気持ちがぐぐっとこみ上げてきて、 「今大阪の子供たちも甲状腺に異常があるんです」 という言葉が喉元まで出かかりました。 だけどいまこの話をしたところで、果たして聞いて下さるのか。 聞く耳がない時の怖い情報ほど、嫌なものってないだろうし。 それで肝心の情報はスルーされてしまい、ただただ私が変な人扱いで終わりやしないか。(本当に健康被害が結果出なかったら、私は本当に「余計なお世話な人」になってしまいますしね。) それに他人の私がとやかく言う事自体、おこがましい事なのなのかもしれない。 でも今せっかくある健康、せめてお子さんの健康だけ、少しだけでも気をつけてくれるなら…。 色々な思いが交錯し、渦巻いた私の思考はほどけることなく、 喉元まで出かかった言葉は、また奥に引っ込んでしまいました。 それを言えなかった自分は、果たして良かったのかと考えながら帰路につきました。 こんな話をしたら申し訳ないという理由で、 必要じゃないだろうと思う人には話しませんが、 あまり関心のない人と、必要があり放射能の話をする時は気を遣います。 (私も震災前までは放射能ナニソレでしたから、それが当たり前だったのは痛感しています) 聞いて下さるのなら、情報ならいくらでも喜んでお話出来るのですが、 それが相手にどう伝わるのか考えると、どういう切り口でお話しするべきか、どうしても言葉を選んでしまいます。 単に他愛のない話なら良いのですが。 放射能に関して他の人に向ける全ての想い、全ての行動はいつもいつも試行錯誤です。これが果たして良かったのか、考えてしまいます。 放射能の知識が、チェルノブイリの前例と共に、皆さんの頭の中に入る日が来ますように。また結果として今後、放射能による健康被害が、二乗のグラフのような増加率を見せることなく収束しますように。 良くまとまらず、長々と書いてしまいました。 冗長なつぶやきでした。